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教会は​カトリックであるだけでなく、​ローマ・カトリック教会です。​私は​この​〈ローマ〉と​いう​言葉を​味わい、​私自身ローマ的であると​思っています。​ローマとは​普遍​(カトリック)を​意味するからであり、​私の​愛すべき友である​シエナの​聖カタリナが​繰り返したように、​地上に​おける​甘美なキリスト、​すなわち教皇様を​愛するように​仕向けてくれるからです。

​ 第二バチカン公会議の​閉会に​あたり、​教皇パウロ六世は​おっしゃいました。​「理論的には、​この​ローマ・カトリックの​中心から​手の​届かない​人は​いません。​すべての​人々に​届く​ことができます。​また​実際に​そうでなければなりません。​カトリック教会に​とって、​遠く​かけ離れて​届く​ことのできない​人などいないのです」。​殉教者の​血に​浸された​ペトロと​パウロの​ローマ、​キリストの​救いを​もたらす​言葉を​世界中に​広げる​大勢の​人が​輩出した​この​中心地を、​私は​全力を​挙げて​愛します。​ローマ的とは、​排他的な​態度を​とる​ことではなく、​真の​エキュメニズムを​示しています。​それは​心を​大きくする​望み、​贖いに​対する​キリストの​熱意を​もって、​心を​すべての​人に​開く​望みの​ことです。​キリストは、​すべての​人を​最初に​愛されました。​すべての​人を​探し求め、​すべての​人を​受け入れられたのです、​聖アンブロジウスは​簡潔では​あるが​喜びに​溢れた​賛歌を​残しました。​「ペトロの​いる​ところに​教会が​ある。​そして​教会の​ある​ところ、​死は​支配せず、​永遠の​生命が​支配する」。​なぜなら、​ペトロと​教会の​ある​ところには​キリストが​おられ、​その​キリストこそ​救い、​唯一の​道であるからです。

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