13

ローマ教皇の​最高の​権限と​〈エクス・カテドラ〉つまり​教座から​話すときの​不可謬性は、​人間の​考え出した​ものではなく、​キリストの​明白な​教会創設の​意志に​よる​ものです。​教皇の​統治を​司教の​統治と​対立させたり、​教皇の​教導職が​有効か​否かを​信者の​同意で​決めたりする​考えは、​およそ​意味の​ない​ことであり、​権力の​均衡などとも​全く​無関係です。​いくら魅力的で​機能的であると​いっても​人間的な​図式は​役に​立ちません。​教会の​中では、​人間が​自ら絶対的な​権限を​持つことなど​あり得ないのです。​教会には​キリスト以外の​頭は​存在しません。​そして、​キリストは​この​地上を​旅する​ご自身の​花嫁の​ために、​代理者すなわちローマ教皇を​定められました。

​ 教会は​その​構成から​みても​使徒継承です。​「教会は​カトリックであると​同時に​唯一、​聖、​使徒継承でなければならない。​従って、​全世界と​全民族の​明白で​完全な​一致に​よって、​カトリック教会は​唯一である。​この​真実の​一致の​本源、​根、​起源は、​使徒たちの​頭・聖ペトロと​教座の​後継者の​最高権威と​最高主権である。​唯一の​ペトロの​上に​建てられ、​信仰と​愛の​一致に​よって​一つの​体に​結ばれ、​構成された​カトリック教会以外の​教会は​ない」。

​ ペトロとの​一致、​すなわち教皇との​一致を​繊細な心で​忠実に​保てば、​この​使徒継承と​いう​特徴を​すべての​人の​目に、​より​明らかに​するのに​貢献できます。​ローマ教皇の​うちに​キリストを​見ているからです。​祈りの​中で​キリストに​接すれば、​時には​理解に​苦しむ出来事や​嘆きと​悲しみを​誘う​出来事が​起こっても、​聖霊の​働きを​識別できる​澄みきった​目で​歩みを​続ける​ことでしょう。

この点を別の言語で