14

全カ​トリック信者の​使徒職への​使命

 教会は、​洗礼を​受けて​その​懐に​入った​私たちを​聖化します。​自然の​生命を​もって​生まれて間もなく、​私たちは​すでに​聖化を​もたらす恩恵を​受ける​ことができます。​「一人の​信仰は、​そして​教会全体の​信仰なら​尚更の​こと、​教会に​一致を​もたらし、​一方の​善を​他方に​伝える​聖霊の​働きに​よって​幼児に​恩恵を​与える」。​聖霊から​付与され、​教会に​備わっている​この​超自然の​母性は​真に​素晴らしいとしか​言いようが​ありません。​「洗礼に​よって​実現する​霊的な​再生は、​ある​意昧で​体の​誕生に​似ている。​母の​胎内に​いる​子が​自分で​食物を​摂取できず、​母から​栄養を​摂るように、​まだ​理性の​働きを​持たず、​母なる​教会の​胎内に​いるが​ごとき​状態の​幼い​子供は​自分の​力でではなく、​教会の​働きに​よって​救いを​得る」。

​ 教会の​司祭的権能の​偉大さが​際立って​見えます。​ところで​この​権能は​キリストから​直接に​出る​ものです。​「キリストは​すべての​司祭職の​源である。​旧約の​司祭は​前表であったが、​『あなたが​たが​何かの​ことで​赦す相手は、​わたしも​赦します。​わたしが​何かの​ことで​人を​赦したと​すれば、​それは、​キリストの前であなたが​たの​ために​赦したのです』​(2コリント2・10)と​言うように、​新約の​司祭は​キリストの​ペルソナに​おいて​働くのである」。

​ 神と​人間の​間の​仲介役と​して​救いを​もたらす​働きは、​教会の​中で、​叙階の​秘跡を​通じて​永続します。​この​秘跡は、​固有な​印章と​恩恵の​作用に​よって、​すべての​人の​ために​イエス・キリストの​聖務者​(役務者)と​して​働く​ことができる​司祭を​作ります。​「ある​事柄に​ついてある​人には​でき、​他の​人には​できないと​言う​とき、​それは​悪か​善かの​違いに​由来するのではなく、​一方が​所有し、​他方が​所有しない​権能からくる​問題である。​それゆえ、​信徒は​個人的に​いかに​良い​人間であっても、​聖別する​権能を​受けていないわけだから、​聖別を​実現する​ことができないのである」。

この点を別の言語で