23

教会の​目的

 聖パウロは​エフェソの​信徒への​手紙の​中で、​キリストが​告げられた​神の​秘義は​教会の​中で​実現すると​主張しています。​父なる​神は、​「すべての​ものを​キリストの​足もとに​従わせ、​キリストを​すべての​ものの​上に​ある​頭と​して​教会に​お与えに​なりました。​教会は​キリストの​体であり、​すべてに​おいて​すべてを​満たしている​方の​満ちておられる​場です」。​神の​奥義​(秘義)は​「時が​満ちるに​及んで、​救いの​業が​完成され、​あらゆる​ものが、​頭である​キリストのもとに​一つに​まとめられ​(る)」と​いうのです。

​ 計り知る​ことのできない​秘義、​愛から​出る​無償の​秘義です。​「天地創造の​前に、​神は​わたしたちを​愛して、​御自分の​前で​聖なる者、​汚れの​ない​者にしようと、​キリストに​おいて​お選びに​な​(った)」からです。​神の​愛は​無限です。​聖パウロ自身も、​救い主は​「すべての​人々が​救われて真理を​知るようになる​ことを​望んで​おられ​(る)」と​告げています。

​ 教会の​目的は​一人​ひとりを​救う​こと、​これ以外に​ありません。​この​ために​御父は​御子を​遣わされたのです。​そして​主は、​「わたしも​あなたが​たを​遣わす」とも​仰せに​なりました。​そこから、​恩恵に​よって​至聖なる​三位一体の​神が​霊魂に​お住まいに​なるように、​教えを​告げて​洗礼を​授けよと​いう​命令が​出てきます。​「わたしは​天と​地の​一切の​権能を​授かっている。​だから、​あなたがたは​行って、​すべての​民を​わたしの​弟子に​しなさい。​彼らに​父と​子と​聖霊の​名に​よって​洗礼を​授け、​あなたが​たに​命じておいた​ことを​すべて​守るように​教えなさい。​わたしは​世の​終わりまで、​いつも​あなたが​たと共に​いる」。

​ これは​聖マタイ福音書の​終わりに​ある​簡潔で​崇高な​言葉です。​そこで​示されているのは、​信仰の​真理を​告げる​義務と​秘跡に​あずかる​ことの​重要性、​教会に​対する​キリストの​絶え間ない​保護の​約束です。​信仰と​キリスト教的倫理道徳教育、​そして、​秘跡の​実行と​いう​超自然の​現実を​軽んずる​なら、​主に​忠実を​保っていないことになります。​キリストは、​この​命令を​与え、​そして​教会を​建てられたのです。​これ以外の​ことには​二義的な​意味しか​ありません。

この点を別の言語で