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教会は​一つである

​ キリストは​御父に​嘆願されます。​「わたしたちのように、​彼らも​一つとな​(りますように)」。​「父よ、​あなたが​わたしの​内に​おられ、​わたしが​あなたの​内に​いるように、​すべての​人を​一つに​してください」。​イエス・キリストは​一致を​勧める​言葉を​絶えず​繰り返されます。​「どんな​国でも​内輪で​争えば、​荒れ果ててしまい、​どんな​町でも​家でも、​内輪で​争えば​成り​立って​行かない」からです。​主の​教えは​熱い​望みに​変わります。​「わたしには、​この​囲いに​入っていない​ほかの​羊も​いる。​その羊を​も導かなければならない。​その​羊も​わたしの​声を​聞き分ける。​こうして、​羊は​一人の​羊飼いに​導かれ、​一つの​群れに​なる」。

​ 主なる​神は​何と​感嘆すべき調子で​話された​ことでしょう。​私たちが​この​一致への​情熱を​理解し、​それを​しっかり心に​刻み付ける​ことのできるように、​たくさんの​説明や​比喩を​使って​話してくださったのです。​「わたしは​まことのぶどうの​木、​わたしの​父は​農夫である。​わたしに​つながっていながら、​実を​結ば​ない​枝は​みな、​父が​取り除かれる。​しかし、​実を​結ぶ​ものは​みな、​いよいよ豊かに​実を​結ぶように​手入れを​なさる。​(…)​わたしに​つながっていなさい。​わたしも​あなたが​たに​つながっている。​ぶどうの​枝が、​木に​つながっていなければ、​自分では​実を​結ぶ​ことができないように、​あなたが​たも、​わたしに​つながっていなければ、​実を​結ぶ​ことができない。​わたしは​ぶどうの​木、​あなたがたは​その枝である。​人が​わたしに​つながっており、​わたしも​その​人に​つながっていれば、​その​人は​豊かに​実を​結ぶ。​わたしを​離れては、​あなたがたは​何も​できないからである」。

​ 教会から​離れる​人々も、​葉が​生い​茂るように​生き生きする​時が​ありますが、​遅かれ早かれ枯れてしまい、​その​実りさえ​蛆虫の​巣に​なる​ことは​お分かりでしょう。​使徒継承の​聖なる​ローマ・カトリック教会を​愛してください。​教会は​唯一です。​聖チプリアヌスが​書いているように​「教会の​外で​集める​人は、​キリストの​教会を​四散させる」からです。​聖ヨハネ・クリゾストムも​主張しています。​「教会から​離れてはいけない。​教会より​強い​ものは​何も​ないのだ。​教会は​あなたの​希望である。​教会は​あなたの​救いである。​教会は​あなたの​拠り所である。​それは​天よりも​高く、​大地よりも​広い。​決して​老いず、​その力は​永遠に​続く」。

​ 教会の​一致を​守る​心は、​ぶどうの​木である​イエス・キリストと​しっかり​一致して​生きる​努力に​表れます。​具体的に​どう​すれば​いいのでしょうか。​教会の​永続する​教導職に​対する​忠実の​度合を​増せばいいのです。​「聖霊が​ペトロの​後継者たちに​約束したのは、​聖霊の​啓示に​よって、​新しい​教理を​教える​ためではなく、​聖霊の​援助に​よって、​使徒たちが​伝えた​啓示、​すなわち信仰の​遺産を​確実に​保存し、​忠実に​説明する​ためである」。​そう、​汚れなき母なる​教会を​敬い、​ローマ教皇を​愛する​ことに​よって​一致を​守るのです。

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