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確かに、​私たちの​主なる​神は、​教会を​麦と​藁が​山積みと​なっている​麦打ち場に​喩えられました。​そこから​食卓にの​ぼる​パンと​祭壇の​ための​パンが​できます。​また​教会を​「いろいろな​魚を​集める」地引網にも​喩えられました。​あとで、​良い​ものを​かごに​入れ、​役に​立たない​ものを​捨てるのです。

​ 人間の​さも​しい​行為の​影に​覆われて​隠れてしまうことがありますが、​教会の​聖性と​いう​秘義は​根源的な​光で、​母なる​教会の​美しさに​いささかの​疑いを​挟む余地も​与えません。​母なる​教会が​侮辱されているのに、​抗議も​せずに​我慢するような​ことは​したくない​ものです。​信仰も​愛も​示さない​人のように、​教会の​弱みを​批判するような​ことは​したくない​ものです。​自分の​母親に​ついて​冷淡な​口調で​話す人が、​その​母親に​愛情を​持っているなどとは​私には​信じられません。

​ 母なる​教会は​聖なる​ものです。​清い​状態で​誕生し、​永遠に​汚れなく​存続するからです。​万一、​その​美しい​顔を​見つけられない​ときには、​私たち自身の​目を​清めましょう。​万一、​その​声が​快く​響かない​ときには、​愛情に​溢れた​牧者の​口笛を​聞こえなくさせている​耳のかさぶたを​取り​除きましょう。​母なる​教会は​キリストの​聖性に​よって​聖なる​ものです。​その​聖性に、​教会は​体と​霊に​おいて​結ばれています。​私たちは​皆​その体であり、​神の​恩恵を​保つ​限り、​一人​ひとりの​内に​聖霊が​おいでに​なるからです。

​ 至聖三位一体の​神を​称える​賛歌を​思い​起こし、​あえて​教会に、​聖なるかな、​聖なるかな、​聖なるかなと​歌い​かけます。​わが​母よ、​聖なる​神の​御子が​創設された​ゆえに、​あなたは​聖なる​教会です。​聖性の​源である​御父が​そうな​さったが​ゆえに、​あなたは​聖なる方です。​天の​教会、​永遠の​エルサレムに​住むはずの​御父の​子らを​集める​ため、​信者の​心に​住まいを​定められた​聖霊が​助け支えている​ゆえに、​あなたは​聖なる方です。

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