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聖人の逸材―そのように言われる人たちがいる。聖人の逸材であると。聖人たちが材木でできていないことは別にして、逸材であるだけでは充分でない。
指導者への深い従順と、恩寵(恩恵)への限りない素直さが必要である。作品の作り手である神と指導者に自らを委ねない限り、聖なる人のあるべき姿、つまりキリストの姿は、決して浮かび上がってこない。
右に述べた〈逸材〉も、手を加えない限り、火にくべられるただの丸太に過ぎない。良い木であれば、よく燃えることだろう。
この点を別の言語で
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/camino/56/ (2025/11/26)