756
私たちは、動き、感じ、全く自由な意志を有する石、切り石である。
神ご自身は石工である。お望みのままに、金槌とたがねを打ちおろし、私たちの角を削り、形を整え、変えてくださる。
私たちは神のみ旨から離れたり、み旨を避けたりはしたくない。いずれにしても、衝撃は避け得ないからである。それどころか、もっとひどく、しかも無益に苦しむだろう。磨かれて建築に適した石になるかわりに、人びとに蔑まれ踏まれる砂利の山となるだけだろう。
この点を別の言語で
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/camino/756/ (2025/11/30)