949
使徒的事業で責任ある地位に就きたいと望むのは、現世においては無益なことであり、来世のためには危険である。
神がそうお望みになれば、あなたをお呼びになるだろう。そしてその時は、受け入れなければならない。しかし、どのような地位にいても、自らを聖化することができ、また聖化しなければならないことを忘れてはならない。そのためにこそ、そこにいるのだから。
この点を別の言語で
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/camino/949/ (2025/11/30)