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善を​行いつつ巡られた

​ イエスを​知り、​愛を​込めて​その​ご生涯を​見守る​ことが​いかに​必要であるか​おわかりでしょう。​聖書の​中に​イエスの​伝記か​その​生涯の​定義と​なる​ものは​ないかと​何回も​探してみました。​そして​読んでいく​うちに、​聖霊に​よって​書かれた​「方​々を​巡り歩いて​人々を​助け」​13と​いう​言葉が​見つかりました。​ご降誕から​ご死去に​至るまで、​地上で​お過ごしに​なった​間ずっと、​イエスは​「巡り歩いて​人々を​助けられた」のです。​聖書には、​「この​方の​なさった​ことは​すべて、​すばらしい」​14、​何事を​するにも​最後まで​完全に​された、​中途半端な​ことは​されず、​しかも​善い​ことしかなさらなかった​とも​書いてあります。

​ ところで​私たちは​どう​すれば​よいのでしょう。​改めるべき点は​ないか​振り返ってみましょう。​私には​たくさんやり直すべきことがあります。​私一人では​善を​行う力は​ありません。​イエスご自身も​「わたしを​離れては、​あなたがたは​何も​できない」15と​仰せに​なりました。​ですから、​神を​愛する​者に​相応しい​親密な​語らいの​うちに、​聖母マリアを​仲介者と​して、​主の​助けを​願いましょう。​各々の​必要に​応じて、​皆さん方​一人​ひとりが​祈るべきですから、​私には、​これ以上​何も​付け加える​ことは​ありません。​勧めを​差し上げている​この​瞬間にも、​心の​中で​多弁を​弄する​ことなく、​この​教えを​私自身の​惨めさに​当てはめているのです。

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