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  犠牲、​犠牲。​確かに、​主が​仰せられたように、​イエス・キリストに​付き従うとは​十字架を​背負う​ことである。​しかし、​主を​愛する​人々には、​そんなに​十字架だとか​放棄だとか​言って​ほしくない。​なぜなら、​愛が​あれば​犠牲は​苦しくても​喜ばしい​ものであり、​十字架は​聖なる​十字架であるからだ。

​ このように​愛し、​このように​自らを​捧げる​ことのできる​人は、​喜びと​平和に​満たされる。​それなのになぜ、​慰めを​求めるかのように、​犠牲の​ことばかり​言うのか。​キリストの​十字架―あなたの​生命―は​あなたを​幸せに​してくれるのに。

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