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〈祈り〉は、自らの計り難い惨めさと神の偉大さを認める人の謙遜である。そのような人は神に向かい、神を礼拝し、すべてを神に期待して自分自身には何ものをも期待しない。
〈信仰〉は理性の謙遜である。理性が謙遜であれば、自らの判断を捨て、教会の判断と権威の前にひれ伏す。
〈従順〉は意志の謙遜である。意志が謙遜であれば、神ゆえに、他人の意志に従う。
〈貞潔〉は肉体の謙遜である。肉体が謙遜であれば、精神に従う。
外的な〈犠牲〉は感覚の謙遜である。
〈償い〉は神に捧げた情念すべての謙遜である。
そして、謙遜は内的戦いの道における真理である。
この点を別の言語で
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/surco/259/ (2025/12/26)