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物と快楽に振りまわされる信仰なき世界、そのような世界に圧迫され影響を受ける今、〈烏合の衆〉と同じように考えず、同じような振る舞いをしない自由を要求し、また、その正当性を主張するにはどうすれば良いのだろう。
神の子であるならその自由を乞い願う必要はない。なぜなら、キリストは一度で万人のため、自由を勝ち得てくださったからである。とは言え、あらゆるところでその自由を弁護し、また、それを人々に示さなければならない。そうして初めて、彼らも私たちの自由が環境に左右されないことを悟るだろう。
この点を別の言語で
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/surco/423/ (2025/12/24)