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悲しいことだが、ロザリオを祈らないための手段が一つある。それは一日の終わりまで祈らずに放っておくことだ。
これから寝ようというときに祈るなら、せいぜいやる気のない祈り、玄義(神秘)の黙想などおぼつかない。そんなことをすれば、惰性に陥るのは目に見えているし、本当の信仰心、それも唯一その名に値する信心は死んでしまう。
この点を別の言語で
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/surco/476/ (2025/11/28)