684
「これはわたしの体である」と仰せになった主は、パンの外観のもとにお隠れになり、ご自分を犠牲として捧げられた。そして今、そこに、御体と御血、ご霊魂、神性を伴っておいでになる。トマスが栄光に輝く傷口に指を差し入れたときと同じ主である。
それにもかかわらず、あなたは、あまりにもしばしば素通りし、簡単な儀礼上の挨拶さえしない。通りすがりにたまたま知り合いに出会えば必ず挨拶するのに。
あなたの信仰はトマスの信仰よりずっと浅い。
この点を別の言語で
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/surco/684/ (2025/11/21)