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司祭職の​尊さ

 司祭職とは、​それ自体、​他の​人たちと​比べてより​良い​身分でも、​より​悪い​身分でもありません。​それは​人々と​本質的に​異なった​身分を​受けて​神に​仕えると​いう​ことです。​しかし​司祭の​召し出しは、​この​地上で​並ぶものが​ない​ほどの​尊厳と​偉大さとを​持っています。​シエナの​聖カタリナは、​次の​言葉が​イエス・キリストの​口から​出たと記しています。​「司祭に​対する​敬いの​心が​少なくならないよう望む。​司祭に​対する​敬意や​尊敬は​彼らの​ためではなく、​それを​司るよう​彼らに​与えた​血ゆえに、​わたしに​対して​示される​ものである。​もしそうでなければ、​司祭に​対する​敬いは、​他の​信者に​対するのと​同じでなければならず、​それ以上では​あり得ない。​(…)​司祭を​侮辱してはならない。​司祭を​侮辱する​者は、​わたしを​侮辱する​ことになる。​それゆえ、​わたしは​それを​禁止し、​わたしの​キリストたち、​つまりわたしの​注油された​ものに​触れるなと​言ったのである」7。

​ いわゆる​司祭の​独自性や本質を​懸命に​なって​探し求める​人が​います。​聖カタリナの​言葉で​明らかでは​ありませんか。​司祭の​独自性とは​何でしょうか。​キリストの​独自性の​ことです。​キリスト信者は​すべて、​もう​一人の​キリストではなく、​キリスト自身に​なるべきです。​ところで​司祭の​場合には、​これが​秘跡のかたちで​直接に​与えられています。

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