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​「司祭は​二つの​行為を​行う。​一つは​真の​キリストの​体に​対する​もの、​もう​一つは​二次的で​キリストの​神秘体に​対する​ものである。​第二の​行為あるいは​聖務は、​第一の​ものに​依存する。​その逆ではない」。​それゆえ、​司祭の​務めの​うち最良の​ものは、​すべての​カトリック信者が、​より​清く​謙遜と​敬いを​もって​聖なる​犠牲に​あずかるよう助ける​ことです。​司祭が​このように​努力すれば、​落胆する​ことも、​兄弟である​信者たちを​裏切る​こともないでしょう。

​ 「あなたの神である​主を​拝み、​ただ主に​仕えよ」と​いう、​創造主に​対する​被造物の​義務の​第一は、​聖なる​ミサの​礼拝に​おいて​愛を​込めて​果たされます。​召使のような​冷淡で​外面的な​礼拝ではなく、​愛する​子が​示す尊敬と​敬意です。

​ 聖なる​ミサでは、​私たちと​すべての​人々の​罪の​償いを​する​ため、​また​聖パウロと​共に、​キリストの​苦しみの​欠けた​ところを、​身を​もって​満たす21と​言う​ための、​最高の​機会が​与えられています。​この​世では、​一人だけで​生きている​人は​いません。​原罪そして​多くの​自罪すべての​結果と​して、​この​世で​犯される​悪に​くみしていない​人は​いません。​犠牲を​愛し、​償いを​探しましょう。​どのように?​ 聖なる​ミサに​おいて​司祭で​あり犠牲である​キリストに​一致する​ことに​よって。​被造物と​私と​あなたの​不忠実と​いう​押しつぶされんばかりの​重荷を​背負うのは​常に​キリストですから。

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