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も​うずいぶん昔の​こと、​(スペインの)​カスティーリャの​街道を​通った​とき、​遠くに​見えた​野原の​光景に​心を​打たれ、​それ以来、​幾度も​祈りの​材料と​して​役立ててきました。​数人の​男たちが、​一所​懸命に​力を​込めて​大地に​杭を​打ち込んでいる。​それが​すむと、​杭に​金網を​張って​囲いが​できあがる。​すると、​羊飼いた​ちが​やってきて、​連れてきた羊の​群れを​一頭ずつ​名指しで​呼んで​一か​所に​集め、​保護する​ために​囲いの​中に​入れてゆく。

​ 主よ、​今日は​特に、​あの​羊飼いと​囲いの​ことが​思い出されます。​あなたと​語り合う​ため、​ここに​集う​私たちは​皆、​そして​世界中の​大勢の​人々も、​あなたの羊の​群れの​一人である​ことを​知っているからです。​あなたは​仰せに​なりました。​「わたしは​良い​羊飼いである。​わたしは​自分の​羊を​知り、​わたしの​羊も​またわたしを​知っている」1。​あなたは​私たちを​よく​ご存じです。​私たちが​善き牧者の​呼び声に​いつも​注意して​耳を​傾けて​従いたいと​思っている​ことを​よく​知っておられます。​「永遠の​命とは、​唯一の​まことの​神であられる​あなたと、​あなたの​お遣わしに​なった​イエス・キリストを​知る​ことです」2。

​ 四方を​羊に​囲まれている​キリストの​姿には​たい​へん心を​惹かれます。​その​絵を、​私が​毎日​ミサを​たてている​聖堂に​飾りつけてくれる​よう​頼みました。​また、​色々な​ところに、​神の​現存の​<触れ役>と​して、​イエスの​言葉を​刻んで​もらいました。​「わたしは​自分の​羊を​知っており、​羊も​わたしを​知っている」3。​それは​ちょうど、​牧者が​自分の​羊を​相手に​する​ときのように​4、​イエスが​私たちを​危険から​守り、​教え導いてくださる​ことを​常に​思い出すためです。​こういうわけで、​カスティーリャの​思い出が​ここでは​本当に​見事に​当てはまると​思うのです。

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