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漁の​水揚

​ ​「見よ、​わたしは​大勢の​漁師を​遣わして​―主の​言葉―、​漁師たちが​彼らを​漁る」8。​漁ると​いう​大きな​仕事は​こう​明示されています。​しばしば​世界は​海にたとえられますが、​真に​当を​得た​喩えでしょう。​人生にも、​海のように​凪と​時化、​穏やかな​時期と​荒れ狂った​時期とがあります。​たびたび​人々は、​苦い​荒海を​泳ぎ、​嵐の​さなかを​悲嘆に​くれて悲しい​歩みを​続ける。​楽しそうに​見え、​賑やかな​様子であっても、​それは​愛情や​理解に​欠けた​人生、​失望、​不愉快を​覆い隠すための​高笑いに​すぎません。​人間も​魚のように​<共食い​>するのです。

​ 人々が​自ら​望んで​神の​網に​入り、​互いに​愛し合う​よう努力するのは、​神の​子と​しての​義務です。​キリスト信者なら、​預言者エレミヤの​喩えに​出る​漁夫、​あるいは、​イエス・キリストが​何度も​お使いに​なった​喩えのようになるべきです。​「わたしに​ついて​来なさい。​人間を​とる​漁師にしよう」9と、​主は​ペトロと​アンデレに​向かって​仰せに​なりました。

聖書への参照
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