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奇跡は​繰り返される

​ 社会での​身分に​応じて​義務を​遂行し、​自らの​聖化を​求めて​日々​戦うならば、​主は​奇跡を​行うに​ふさわしい​道具、​しかも​必要ならば​大きな​奇跡の​道具に​してくださると、​私は​保証します。​盲人に​光を​与える​ことも​できるでしょう。​生まれつきとも​いえる​盲人の​視力が​回復して、​キリストの​目映い​光が​見えるようになった​ケースを​いくつも​挙げる​人も​出てくる​ことでしょう。​ある​人は​神の​子らしく​聞いたり話したりできない​聾唖者でした。​しかし、​感覚が​浄められると、​動物のようにではなく​人間らしく​聞いたり​表現したりできるようになりました。​役立つような​ことは​何も​できなかった​あの​足の​不自由な​人に、​使徒たちは​「イエス・キリストの​名に​よって」17歩く​力を​与えます。​また、​自らの​義務を​知っていながら​果た​そうとしない​怠け者も​いました。​そこで​また、​主のみ​名に​おいて、​「立ち​上がり、​歩きなさい」18と​言います。

​ 死臭を​放っていた​遺骸も​神の​声を​受けました。​ナインの​寡婦の​息子の​奇跡の​ときのように。​「若者よ、​あなたに​言う。​起きなさい」19。​キリストや​使徒たちが​行った​奇跡を​私たちも​行います。​ひょっと​すれば、​あなたや​私に​対してあのような​奇跡が​行われたのかも​知れません。​私たちは​盲人や​聾唖者、​足の​悪い者であり、​また​死臭を​漂わせていたかもしれないのです。​しかし、​主の​言葉の​おかげで​立ち上がる​ことができました。​キリストを​愛して​心から​主に​従うなら、​自分​自身を​求めず主のみを​求めるなら、​無償で​いただいた​ものを​無償で、​キリストの​名に​おいて、​人々に​伝える​ことができるでしょう。

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