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もう​何年も​前の​ある​日、​私は​バレンシアの​司教座聖堂で​祈っていました。​その​ときの​想い​出が​なかなか​記憶から​消え去りません。​そこには​福者リダウラと​いう​人の​墓が​あります。​その前を​通り過ぎようとした​ときに、​こんな​話を​してくれた​人が​いました。​ある​時、​司祭リダウラは​年齢を​尋ねられました。​彼は​もう​かなり​高齢でしたが、​信頼し切った​様子で​答えました。​「ほんの​わずかですよ。​神様に​お仕えしてきた​年月は」。​皆さんの​うちの​多くは、​この​世で、​今の​環境で、​仕事や​職務を​通して、​主に​接し、​主に​仕える​決心を​してから、​まだ​片手で​数えられる​ほどの​年月しか​経ていない​ことでしょう。​このような​細かな​話は​さほど​重要でないかもしれませんが、​次の​ことは​大切です。​イエス・キリストは​すべての​人を​例外なく​聖性に​招かれた​こと、​また、​この​招きに​あずかった​一人​ひとりが​内的生活を​深め、​キリスト教的な​徳に​日々進歩すべきである​こと。​しかも、​どのような​程度でも​良いと​いうのではなく、​素晴らしいと​言えるだけでなく、​英雄的と​言えるまで​努力する​ことが​要求されていると​いう​こと、​これを​確信して​心に​深く​刻み込まなければなりません。

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