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心の様子はどうだろうか。安心しなさい。あなたや私のように普通の体を持ち、普通の人間だった聖人たちも、〈自然の〉傾きを感じていたのである。まったく感じなかったとすれば、心を、つまり霊魂と体とを、異性ではなく神に捧げるという〈超自然的〉な決心に、大した功徳はなかっただろう。
というわけで、道を見定めて決心し、〈夢中になって〉神を愛する人にとって、心の弱さは妨げになりえないと思う。
この点を別の言語で
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/camino/164/ (2025/11/28)