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超自然的な愛徳の明らかなしるし、すなわち、兄弟的説諭の実行を疎(おろそ)かにしてはならない。なかなか実行し難いことで、遠慮するほうが楽(らく)でいい。確かにその方がずっと楽ではあるが、超自然的な態度ではない。
そして説諭を怠ったのなら、そのことについては、神に申し開きをしなければならないだろう。
この点を別の言語で
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/forja/146/ (2025/11/18)