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祈りの生活と活動の生活を、両立しないものであるかのように切り離して考える人がいるが、その意見は尊重するにしても、決して賛成することはできない。
神の子らは観想生活を営まなければならない。すなわち、人ごみの喧騒の中で主と絶えず語り合いを続けるため、心の沈黙の持てる人、夢中になって愛する父として友として主を見つめることのできる人でなければならないのである。
この点を別の言語で
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/forja/738/ (2025/12/09)