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  キリスト者の​夫婦ならば、​生命の​源を​塞ぐ​ことなど​望んではいけない。​夫婦の​愛の​基と​なるのは​キリストへの​愛であるが、​その​キリストは​自らを​捧げて​犠牲と​なってくださった。​また、​トビアが​サラに​思い出させたように、​「わたしたちは​聖徒の​子、​わたしたちが​一緒に​なる​とき、​神を​知らぬ異邦人の​ようであってはならない」ことを​夫婦は​知っている。

聖書への参照
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