純潔

  独身者や​既婚者、​やもめ、​司祭、​それぞれの​身分に​応じた​貞潔は、​愛の​勝利宣言である。

  純潔と​いう​〈奇跡〉が​実現できるのは、​祈りと​犠牲の​おかげである。

  貞潔に​反する​誘惑は、​姿を​偽って​やって​来る​ときが​いっそう​危険である。​狡猾な​現れ方を​すれば​する​ほど、​だまされやすいのだ。

​ 〈変人〉に​思われないようにと​いう​理由からであっても、​決して​譲歩してはならない。

  聖なる​純潔、​これ即ち、​肉の​謙遜である。​主よ、​私の​心を​七つの​閂で​締めてください、と​あなたは​お願いしていた。​そこで、​私は​あなたに、​心の​ために​七つの​閂と、​若さの​ために​八十歳の​重厚さを​お願いしなさいと​勧めた。

​ さらに、​怠りなく​警戒を​続けなさい。​火事の​火を​消すよりも​火花を​消すほうが​簡単なのだ。​逃げなさい。​こういう​時の​〈勇敢〉は、​すなわち下劣な​臆病に​他ならないからである。​目を​キョロキョロさせて​歩かないように。​それは​目覚めているのではなく​悪魔の​計略なの​だから。

​ とは​言え、​こんな​努力に​加えて、​犠牲、​苦行帯、​鞭、​断食までも​実行したとしても、​我が​神よ、​あなたが​助けてくださらなければ​何の​役にも​立ちません。

  濃やかな​心の​持ち主が、​ある​種の​好奇心を​告白したが、​聴罪司祭は​その​人の​情欲を​次のように​言って​殺して​やった。​「なんだ、​雄と​雌の​本能じゃないか」。

  自分から​進んで​そのような​対話を​始めた​途端に、​誘惑は​心の​平和を​奪い​取る。​それは、​不潔な​ことを​承諾すると、​恩恵が​破壊されるのと​同じである。

  心も​体も​どっぷりと​不潔の​道に​浸かっていた。​そして、​彼の​信仰は​徐々に​ぼやけてきた。​それが​信仰の​問題で​ない​ことは​明らかなのだが。

  ​「私のような​過去を​持っていても、​〈もう​一人の​〉聖アウグスティヌスに​なることができると​あなたは​おっしゃった。​私は​その​通りだと​信じています。​そして、​今日は​昨日以上に、​それを​確かめてみたいと​思っています」。

​ ところであなたには、​ヒポナの​聖なる​司教と​同じように、​勇気を​出して​根元から​切り捨ててしまわなければならない​ことがある。

  そう、​あなたは​過去に​犯した​不潔な​行いを​心から​痛悔して​赦しを​願い、​たくさんの​償いを​捧げなければならない。​しかし、​もう​過去の​ことは​思い出さない​ほうが​よい。

  下水道の​ように​汚れた​その​会話。​その種の​話に​加わらないだけでは​不十分である。​きっぱりと​嫌悪の​情を​表に​表しなさい。

  〈霊魂〉が​徐々に​減じて​小さくなり、​ただの​一点でしかなくなったようだ…。​そして、​体が​大きくなり、​巨大化して、​支配を​確立する。​聖パウロが​あなたの​ために​書いてくれている。​「(わたしは)​自分の​体を​打ち叩いて​服従させます。​それは、​他の​人々に​宣教して​おきながら、​自分の​方が​失格者に​なってしまわないためです」。

  世間の​直中で​生活し仕事を​している​限り、​貞潔を​保つことは​できない、と​自らの​悲しむべき経験を​もとに​主張する​人が​いるが、​そんな​人を​見ると​悲しくなる。

​ ​そんな​筋の​通らぬ話を​通そうと​いう​ぐらいなら、​自分たちの​両親や​兄弟、​夫や​妻の​ことを​侮辱されたからと​いって​腹を​立てることもある​まいに。

  経験豊かな​あの​司祭は、​いささか​荒っぽい​言い方で、​ある​人の​たわごとを​正して​やった。​「今あなたは​牛の​道を​歩んでいる。​しばらく​すると、​山羊の​道を​歩むことで​満足し、​その​後いつまでも​獣のような​生き方を​続けて、​天を​眺める​ことも​できなくなるだろう」。​その​司祭は​こう​言って、​その​人を​正気に​戻したのである。

  あなたは、​そう、​動物みたいな​ものだ。​それでも、​貞潔で​完全無欠の​人が​いる​ことは、​あなたも​認めるだろう。​ところで、​人々が​あなたに​相談しなかったり、​あなたを​無視したりしても、​いらいらして​欲しくない。​人々が​色々と​計画を​練るのは、​動物とではなく、​霊魂と​体を​備えた​人間と​共に、であるから。

  自分の​事業の​ため、​自分に​役立たせる​ため、​自分の​利己主義を​満足させる​ため、​子供を​世にもたらす人が​いる。​子供は​神の​素晴らしい​賜物であって、​やがて​それに​ついて​特別の​決算書を​出さねばならない​ことを​忘れているのだ。

​ 怒らないで​ほしいが、​種を​保存する​目的だけで​子を​産むと​いうのなら、​どんな​動物に​だって​できる​ことではないのか。

  キリスト者の​夫婦ならば、​生命の​源を​塞ぐ​ことなど​望んではいけない。​夫婦の​愛の​基と​なるのは​キリストへの​愛であるが、​その​キリストは​自らを​捧げて​犠牲と​なってくださった。​また、​トビアが​サラに​思い出させたように、​「わたしたちは​聖徒の​子、​わたしたちが​一緒に​なる​とき、​神を​知らぬ異邦人の​ようであってはならない」ことを​夫婦は​知っている。

  幼い頃、​暗い​道や​犬の​いる​ところは​母親に​くっついて​通り過ぎた​ものである。

​ 今、​肉の​誘惑を​感じるなら、​天の​御母に​ピッタリくっついていなければならない。​御母の​現存を​身近に​感じつつ、​射祷​(呼祷)を​唱えながら。

​ 聖母は​必ず​私たちを​守り、​光の​ある​ところへ​連れて​行ってくださるだろう。

  ​そんな​乱れた​生活を​しているからと​いって、​より​男性的だとか、​より​女性的だとか​言えるわけではない。

​ ​そんな​考え方を​するのは、​娼婦や​性的倒錯者、​変質者、​腐った​心を​持ち、​天の​国に​入れない​人間に​なる​ことを​自分の​理想と​して​掲げている​人である。

  あなたが​日々実行に​移すことのできる​勧めを​一つ​差し上げよう。​心が​程度の​低い​事柄に​向かっていると​感じた​ときには、​私を​憐れんでください、​御母、​私を​見放さないでください、と​無原罪の​聖母に​向かってゆっくりと​祈りなさい。​そして、​他の​人にも​そうするよう​勧めて​あげなさい。

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