892
この世で厭わしい不正義に見舞われたとき、正しい心の持ち主なら、永遠の神の永遠の正義を思い、大喜びすることだろう。
自らの惨めさを知ってはいるけれども、行いを伴う望みと共に、あのパウロの叫びが口から出る。「生きているのは、もはやわたしではありません」、今生きているのは私ではない。キリストが私のうちに生きておられるのである。しかも、彼は永遠に生き続けられるだろう。
聖書への参照
この点を別の言語で
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/surco/892/ (2025/11/18)