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この​盲人の​確固たる​信仰は、​素晴らしい​模範、​行いに​現れる​生き​生きした​信仰の​模範と​なるのでは​ありませんか。​よく​ある​ことですが、​心配事が​心の​中の​光を​隠してしまった​ために​何も​見えなくなる​とき、​あなたは​この​盲人のように​神の​命令に​従っているでしょうか。​池の​水に​濡らせば​目が​癒されると​言われた​ところで、​池の​水に​どのような​力が​備わっていたと​いうのでしょう。​魔法の​点眼薬を​使うか、​錬金術師が​実験室で​発明した​妙薬を​つける​方が​よく​効いたのではないでしょうか。​しかし、​あの​盲人は​信じました。​神の​命令に​従ったのです。​その​結果、​戻ってくると​視力は​回復していました。

​ 聖アウグスチヌスは​この​場面を​評して​次のように​語っています。​「聖福音史家が​池の​名の​意味を​明か​すために​『遣わされた​者』と​書き残してくれた​ことは​真に​ありが​たい。​おかげで、​この​遣わされた​者が​どなたを​指すかが​分かった。​私たちの​ところ​へ​主が​遣わされなかったと​すれば、​ひとりと​して​罪から​解放される​人は​いなかったであろう」8。​癒すために​わざわざ遣わされた​医者である​私たちの​主を、​固く​信じなければなりません。​患う​病が​重ければ​重い​ほど、​より​固く​信じなければならないのです。

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