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その後、​弟子たちは​枯れた​いちじくを​見て​驚き、​尋ねました。​「なぜ、​たちまち枯れてしまったのですか」33。​キリストが​なさる​奇跡に​何度も​立ち会った​弟子たちは​またしても​驚かされてしまいました。​信仰は​まだ、​<完全に​燃え​上がっては​>いなかったのです。​そこで、​主は​保証を​お与えに​なります。​「はっきり​言っておく。​あなたが​たも​信仰を​持ち、​疑わないならば、​いちじくの​木に​起こったような​ことができるばかりでなく、​この​山に​向かい、​『立ち​上がって、​海に​飛び込め』と​言っても、​そのとおりに​なる」34。​イエスは​一つだけ条件を​おつけに​なります、​信仰に​生きよと。​信仰が​あれば、​山さえ​動かすことができるのです。​揺り​動かしてあげるべき人が​世界中に​大勢いるのでは​ありませんか。​しかし、​まず​自ら心を​揺り​動かさなければなりません。​恩寵の​働きを​妨げる​数多くの​邪魔物が​ありますから、​どうしても​信仰が​必要です。​それも、​行いと​犠牲の​伴う​謙遜な​信仰が​必要なのです。​信仰は​私たちを​全能に​する​力を​もっています。​「信じて​祈る​ならば、​求める​ものは​何でも​得られる」35。

​ 信仰の​人なら、​現世的な​事柄に​ついても​正しい​判断が​下せるはずです。​大聖テレジアの​言葉を​借りるなら、​この​地上の​生活は​「貧しい​宿で​過ごす眠れない夜」​36です。​この​世に​おける​一生は、​働く​ためで​あり戦う​ためである​こと、​また、​神に​対して​罪の​負債を​払い戻すときであり​清めの​ときである​ことを、​改めて​確信しなければなりません。​地上の​富は​あくまで​手段に​過ぎないのですから、​寛大かつ​英雄的に​用いる​べきです。

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