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キリスト者が​この​世で​実行すべき第一の​使徒職、​言い​換えれば、​最も​効果的な​信仰の​証しは、​真実の​愛が​教会を​支配するよう手を​貸す​ことです。​互いに​心から​愛し合わなければ、​そして、​攻撃、​中傷、​諍いを​なくさなければ、​「福音」を​告げる​ために​どれほど​苦労を​重ねても、​人々を​惹きつける​ことなどできるはずが​ありません。

​ 信者・未信者の​区別なく、​全人​類を​愛さねばならない。​こう口先だけで​言うのは​簡単です。​たい​へん​流行している​ことでも​あります。​しかし、​そのように​言っている​人が​同じ​信仰を​もつ​兄弟を​冷たく​あしらうならば、​その​人の​行為は​偽善者の​無駄口と​大して​変わらないと​考えざるを​えません。​「同じ父の​子供であり、​同じ​信仰に​結ばれ、​同じ​希望を​受け継いで​いる」13人々を、​キリストの​聖心で​愛するから​こそ、​心が​広くなり、​すべての​人を​主に​近づけたいと​いう​熱意が​燃え​上がるのでは​ありませんか。

​ 今、​愛徳を​実行すべきであると​申し上げていますが、​正に、​私が​口に​したばかりの​言葉に​愛徳が​欠けている、と​考える​人が​いるかもしれません。​しかし、​そうではない。​私は​聖なる​誇りを​もって、​また​誤れる​エキュメニズムに​陥る​ことなく​断言します。​全人​類を​救いたいと​いう​熱い​望みが、​飢えのように​私を​食い​尽くしていると。​唯一の​道である​イエスから​離れている​人々に、​神の​真理を​伝えなければならないと、​第ニバチカン公会議が​以前にも​増して​力強く​主張した​とき、​私は​本当に​うれしく​思いました。

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