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すでに​年老いていた​使徒ヨハネは、​書簡の​大部分を​費やして、​神が​お示しに​なる​愛徳の​教えに​従って​生きなさい、と​励ましていました。​心を​打たれずには​おれません。​キリスト者同志の​愛は、​真の​愛である​神から​生まれます。​「愛する​者たち、​互いに​愛し合いましょう。​愛は​神から​出る​もので、​愛する​者は​皆、​神から​生まれ、​神を​知っているからです。​愛する​ことの​ない​者は​神を​知りません。​神は​愛だからです」14。​キリストの​おかげで​私たちは​神の​子と​なったのですから、​兄弟愛に​ついて​このように​細かく​考えるのは​当然でしょう。​「考えなさい。​それは、​わたしたちが神の​子と​呼ばれる​ほどで、​事実また、​そのとおりです」15。

​ 使徒聖ヨハネは、​良心に​強く​訴え、​神の​恩寵に​もっと​敏感に​反応するよう励ましながら、​御父が​確かに​素晴らしい​愛を​注いでくださっている​証拠を​示しました。​「神は、​独り子を​世に​お遣わしに​なりました。​その方に​よって、​わたしたちが​生きるようになる​ためです。​ここに、​神の​愛が​わたしたちの​内に​示されました」16。​主が​イニシャティブを​とられる。​主が​先に、​私たちに​会いに​来られました。​望む​ところ​あって​模範を​お示しに​なりました。​私たちが主と​共に​隣人への​奉仕に​駆けつけるように、​また、​私の​大好きな​言葉で​言えば、​寛大に​自分の​心を​<敷物>に​して​人々が​その上を​気持ちよく​歩けるように、​さらに、​人々の​内的戦いを​楽にしてあげる​ために​努力するよう、​主は​お望みだからです。​そのとおり実行しなければなりません。​私たちを、​独り子を​躊躇せず​与える​御父の​子、​つまり​キリストの​御父の​子に​してくださったのですから。

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