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キリストの弟子には、当時のあらゆる社会階層を代表する人たちがいました。影響力のある人たちも、市井の人たちも主に従っていました。度々、私はあの二人の弟子にあなたがたが注目するよう促しました。律法学者で名士、おそらく最高法院のメンバーであったニコデモと、裕福で身分の高い、最高法院の議員であったアリマタヤのヨセフです。彼らは物静かで、公生活では良心に従い、困難な時には決然と勇気をもって大胆に行動したのです。この二人が今日生きていたら、オプス・デイのスーパーヌメラリの召し出しを良く理解することができたでしょう。
キリストの最初の弟子たちと同じように、スーパーヌメラリは現代社会のあらゆる所に存在し、これからも存在するでしょう。知識人や商人、専門職、職人、経営者や労働者、外交官、田舎の人、資産家や文学者、新聞記者や演劇界やサーカスの人たち、スポーツ選手。若者や老人、健康な人や病人。生活そのもののように、素晴らしい、組織化されない組織です。真の「専門化」であり、本物の使徒職です。なぜなら、あらゆる(清く、品位ある)職業は、使徒職となり、神的なものになり得るからです。
私たちは、人間社会という相互の奉仕の絡み合いの中に見られる職業や任務、あらゆる社会条件、最も多様な状況にいる人々に関心があります。これらすべての生き生きとした相互関係に、キリストのパン種が行き渡っていなければならないからです。
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/carta-29/11/ (2025/11/22)