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聖なる​全教会の​関心事と​責任

こういう​理由から、​私の​子たちよ、​聖なる​全教会の​関心事と​責任​(sollicitudo totius Sanctae Ecclesiae Dei)は、​私たちの​ものであると​いう​ことができます。​教皇と​教区司教の​公的な​(法的な、​de jure divino)​責任を​支持しながら、​私たちは​法的ではない、​霊的で​修徳的な、​愛から​来る​責任を​持って、​全教会に​仕えます。​これは​職業的な​性格を​持つ市民と​しての​奉仕で、​キリスト者と​しての​模範の​証しを​生きながら、​市民社会の​隅々まで、​主の​教えを​伝えようとする​ものです。

​教会の​一致に​困難が​生じた​時、​修道会などの​全世​界的な​組織が​決定的に​重要な​役割を​果たした​ことは、​歴史が​示しています。​私たちは、​修道者とは​全く​異なる​召し出しを​持つ、​全世​界的な​組織です。​また、​いわゆる​「使徒職的運動」​(apostolic movements)と​呼ばれている​活動との​違いを​明確に​する​34、​全世​界的な​内的位階制を​持っています。​この​ことは、​私たちを​教会と​教皇に​仕える、​結束力の​強い、​効果的な​道具にします。

備考
34

実際には、​社会的・​使徒職的観点から​見ると、​諸々の​運動との​相違は​僅かである。​聖ホセマリアが​ここで​指摘する​相違は、​オプス・​デイの​司牧現象と​交わり、​そして​その​内部の​位階制が​全世​界的であると​いう​点に​ある。​しかし​この​指摘は、​世界に​おける​聖性・福音宣教・教会への​奉仕・​交わりと​兄弟愛の​おける​絆と​いう​熱意を​同じく​共有する​人々と​距離を​取る​ことを​意味する​ものではない。​(編者注)

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