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私の子たちよ、役立つために必要なことは、あなたがたの個人的な聖性です。それは匿名の仮面に隠れない、責任ある仕事として表れます。善き種まき人、キリスト・イエスは、麦のように、私たちを傷ついた手で握りしめて御血で満たし、洗い清め、夢中にさせてくれます。それから、寛大に私たち一人ひとりを、オプス・デイの子たちがいるべき世界の所々に蒔き広めます。麦は、袋ごとではなく、一粒ひと粒、蒔くものです。
「あなたがたは、主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです」35。私の子の生活が使徒職の実りを豊かにもたらさないことは、偽り、二重生活、喜劇で、ありえないことです。繰り返しますが、そういう私の子は死んだも同然で腐っています。Iam foetet「もうにおいます」36。そして私は、(あなたがたがよく知っているとおり)遺体は丁寧に葬ります。
仕事や職務の同僚や親戚、友人や隣人との個人的な付き合いにおいて、友情と親しい語り合いの使徒職で彼らの心を揺さぶり、利己的でブルジョア化した生活の視野を広げ、生活をより〈複雑〉にしてあげなさい。彼らが自分自身を忘れて、周りの人たちの問題を理解できるようにするのです。そして、あなたがたが経験したように、彼らの生活が〈複雑〉になる時、彼らには、gaudium cum pace、喜びと平和がもたらされることを確信してください。
この使徒職(それはディレクターたちの教理的・実践的な導きによるので、無秩序なものではありません)を絶えず行っているなら、あなたがたの周りに、落ち着いた雰囲気が生まれるでしょう。そしてあなたがたの家庭において初代信者の家庭が再現されるのです。
黙想会・講演・サークルなど、オプス・デイが準備している共同の霊的・教理的形成の手段に、またオプス・デイの司祭の霊的指導に、この個人的な使徒職で付き合っている人たちを近づけるよう努めます。というのも、これらの手段は、各々が、仕事・社会的立場・家族関係を通して行う使徒職(すべてが使徒職です)によって示す、人々への配慮をより完全にするための効果的な(必要な)手段だからです。
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/carta-29/16/ (2025/11/16)