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私の子たちよ、あなたがたの使徒職的活動は、教会としての任務ではありません68。あなたがたの中の誰かがキリスト信者の会(associations of the faithful)の一員であっても、それ自体として不都合はありませんが、それは普通ではありません。オプス・デイは、あなたがたが特有の使徒職(神が私たちにお望みの使徒職)をするように形成を与えますが、その使徒職は宗教団体的な色合いを持つものではないからです69。
私たちは、慎み深く、団体としての謙遜を生きています。なぜなら成功や勝利を誇示することなく、静かに働くので(しかし重ねて言いますが、謎めいたことや秘密っぽさなしにです。それは神に仕えるために不必要です)他のカトリック信者から注目されることはなく(なぜならあなたがたはカトリック信者の中の一人だからです)、良い種を蒔いたからといって拍手を受けることもありません。
しかし、特に農村部など、信者の団体(confraternities)や小教区の使徒職的団体に参加しないことが悪い印象を与える可能性のある地域においては、そのような団体に参加することができます。その際、それらを活気づけ盛り上げるよう努めますが、通常は役職に就くことはありません。ですから、キリスト信者の会を、残念ながら、独占的な野心を持って指導する人々は、自らの排他的独裁が奪い取られることを恐れる必要はありません。彼らの活動は彼らのものであり、私たちは、彼らと異なる、私たちの固有の方法で行動すべきだからです。
しかし、あなたがたはキリスト信者である以上、状況や「より高い使徒職の効果」が別の行動を促さない限り、社会が神に捧げる義務のある公の礼拝から遠ざからないでください。私はそのような礼拝が、共同体や家族、神の民の参加なしで催されているのを眺めて、苦しい思いをした事が何度もありました。私は、あなたがたが忠実であるならば、その公の礼拝が本物になること、大げさで極端なものにならずに、質素で格調のあるものになることを確信しています。
「教会としての任務ではありません」:エスクリバー師にとって使徒職は個々人の任務であって、組織のものではない。組織としてのオプス・デイは、属している人やオプス・デイに近づく人たちに、司牧的なオリエンテーションと世話をするだけである。使徒職的活動は、常に、オプス・デイが提供するオリエンテーションと霊的援助を受けるメンバーや協力者、友人たちの責任であり、彼らのイニシアティブの実りである。(編者注)
「宗教団体的な色合いを持つものではない」:世界におけるキリストの弟子としての使命は、洗礼によってもたらされ、各人が繰り広げる人間関係の中で展開される。それゆえ、公にはカトリック的(宗教団体的)な色合いを持たないことが可能である。それは個人の信仰生活から生まれるもので、自らの職業や世俗的な活動において表されるものだからである。(編者注)
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/carta-29/38/ (2025/12/01)