4

キリストに​基づく​楽観主義

​私たちの​楽観主義は、​愚かで​高慢な​ものでなく、​現実に​即した​ものです。​それゆえ、​世に​ある​悪を​無視する​ことは​できませんし、​キリストに​よって​急を​要する​この​戦いに​召された、​つまり​主と​共に​愛と​平和の​麗しい​戦いを​戦い​抜くように​招かれたと​いう​責任を​放棄する​ことも​できないのです。

​随分前の​ことになりますが、​あなたが​たの​兄弟たちに​黙想会を​指導していた​時、​当時の​世界の​状況に​注目するよう​勧めました。​その​状況は​今も​あまり​変わっていません。​地上を​素早く​覆っていく​赤い​染み​(つまり​共産主義)に​目を​向けるよう​彼らを​促しました。​それは​あらゆる​ことに​染み込んでいき、​ほんの​僅かな​超​自然的な​感覚さえも​壊滅させようと​しています。​そして​もう​一つの​波、​官能と​いう​愚かさの​大きな​波が​まかり​通っています。​多くの​人が、​獣のような​生き方に​傾いているのです。

​続いて、​別の​色の​波に​注目するよう​勧めました。​特に​ラテン諸国に​浸透する​様子が​顕著な​別の​色の​波です。​他の​諸国に​おいてはより​隠れた​偽善的な形で​浸透しています。​それは、​神と​教会を​個人の​良心の​奥深くに​閉じ込めようとする​反聖職者主義​(悪い​反聖職者主義)の​雰囲気の​ことです。​あるいは​より​明確な​言い方を​すれば、​公的な​生活に​おいて​信仰が​表明される​ことがないよう、​神と​教会を​個人の​私的な​生活内のみに​追いやろうと​する​波の​ことです。​大げさではなく、​この​三つの​波で​表された​危険は​絶えず​見られ、​荒々しく​勢力を​伸ばしています。

この点を別の言語で