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私たちの​使徒職の​中核は、​教理を​与える​74ことである​ことを​忘れないでください。​と​言うのも、​何度も​話したように、​無知は​信仰の​最大の​敵だからです。​聖パウロが​ローマ人に​した​ためています。​「ところで、​信じた​ことの​ない方を、​どうして​呼び​求められよう。​聞いた​ことの​ない方を、​どうして​信じられよう。​また、​述べ伝える​人が​なければ、​どうして​聞く​ことができよう」75。​教育活動は​私たちの​職業的活動の​小さな​一部​分ですが、​あなたがたは​この​宣教の​責任を​感じるので、​教職を​(それが​私的であれ公的であれ、​個人の​ものであれ共同の​ものであれ、​初等教育から​高等教育まで)​重要視します。

​同じ​理由から、​世論を​造り上げる​メディアと​なる、​新聞、​ラジオや​テレビ、​映画などに​命を​吹き込むよう​努めなさい。​このような​職場で​働いている​人は、​(サークルとか​講演とかに​よって)​小さな​グループの​人たちだけに​教理を​与えるのではなく、​主のように​「戸外で」​大衆に​向かって​教えを​宣べ伝えているのです。

​宗教上の​ひどい​無知が​あります。​多くは​私たちキリスト教徒の​責任です。​私たちが、​日毎に​技術的に​向上し​大きな​影響を​与えている、​これら​すべての​メディアを​通して、​教義を​伝えないからです。​そして、​それらの​メディアは​多くの​場合、​神に​反旗を​翻す人たちに​よって​コントロールされています。

備考
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​「教理を​与える」:聖ホセマリアは​度々​この​表現を​「様々な​状況に​おいて​色々な​形で​キリスト教真理、​信仰の​遺産を​伝える」と​いう​意味で​用いた。​言い​換える​ならば、​それは​「福音の​メッセージを​個人的活動そして​職業的活動を​通して​伝え​広める」と​いう​意味である。​(編者注)

75

ローマ10・14。

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