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奉仕の​精神

​「神の​仕事」を​意味する​オプス・デイ​(Opus Dei、​operatio Dei)は、​すべての​メンバーに​働く​ことを​要求します。​なぜなら、​仕事は​聖化と​使徒職の​手段だからです。​その​ため、​全世界で​無数の​人々が、​カトリックであってもなくても、​キリスト者であってもなくても、​私たちの​オプス・​デイに​感心し、​オプス・​デイを​愛し、​愛情を​持って助けています。​この​ことに​ついて​私たちは​主に​感謝します。

​あなたが​たの中には、​完全な​自由と​個人的な​責任を​持って、​政治活動を​職業と​する​人もいます。​その​人は、​祖国の​政治に​携わるのに​十分な​知識や​才能が​あると​自覚し、​政治に​携わろうと​決めました。​市民社会の​中で​政治に​携わる​人が​少数であるのと​同様に、​そういう​メンバーは​決して​多く​ありません。​また、​この​世俗社会で​働く​オプス・​デイの​他の​すべての​メンバーと​同様に、​政治家と​して​働く​時、​カトリック​信者や​オプス・​デイの​メンバーと​いう​身分を​振りかざすことも、​また​教会を​利用する​ことも、​オプス・​デイを​利用する​こともありません。​なぜなら、​移り​変わる​この​世の​問題に、​神の​教会も​オプス・デイも​巻き込むことは​できないと、​よく​知っているからです。​政治の​世界で​働く​際、​カトリック信者である​私たちが​望む社会は、​市民の​自由を​認める​(誰もが​国家の​前に​同じ​義務と​同じ​権利を​持つ)けれど、​社会の​共通善を​獲得する​ために、​皆が​心を​一つに​して​働く​社会である​ことを、​忘れては​なりません。​その​共通善獲得の​ために、​教会の​教えの​不変の​源泉である、​福音書の​諸原則を​適応するのです。

​あなたがたは、​政治家と​して​働く​権利を​完全に​持っています。​もし、​ある​国家が、​オプス・​デイの​メンバーが​政治家に​なることに​邪魔だて​するなら、​他の​キリスト信者の​会の​メンバーに​対しても、​同じようにしなければならないでしょう。​そして、​同じ​理由​(カトリック信徒が​教会当局に​払うべき従順)から、​当然すべての​信者に​同じ​邪魔だてを​するでしょう。​そのような​行為は、​信仰を​実践している​信者が、​世俗社会の​中で​持っている​権利と​責任を​否定する​ことになります。​信仰を​生きる​信者を、​下等の​市民と​して​扱うのは​不正ですが、​現代社会では​この​種の​差別の​例に​欠ける​ことは​ありません。

​政治が​自分の​天職と​考える​人たちは、​堂々と​その​道を​進みなさい。​もしそうしなければ、​怠りの​罪を​犯すことに​なると​考えなさい。​政治家と​して、​プロ意識を​もって​働きなさい。​あなたの国の​すべての​国民に​キリスト教的に​奉仕する​ことを​考え、​すべての​国が​一致協力する​ことを​夢見て、​有能な​政治家に​なるよう​努めてください。

​聖人と​なった​統治者を​記念する​ミサの​典礼文​(この​世から​離れた​人々に​よって​作られた)の​中で、​聖人が、​pietate magis quam imperio、​王と​しての​権威よりも​信心深さを​もって、​正しい​命令よりも​愛情に​よって​国を​統治したと​称賛されていますが、​それは​聖職者主義的な​考え方の​現れです。

​あなたがたは、​自分の​使命を​正しい​意向を​もって、​超自然の​見方を​失う​ことなく、​遂行しなさい。​しかし、​神の​ことと​人間の​ことを​混同しては​なりません。​人間と​して​果たさなければならない​ことを​果たしなさい。​神に​よって​創造された​世界には、​独自の​原理と​法が​あり、​それを​〈天使的〉な​態度に​よって​踏みに​じってはいけない​ことを​忘れないでください。​私の​子どもに​対する​最悪の​称賛は​「彼は​天使の​ようだ」と​いう​ものです。​私たちは​人間であって天使では​ありません。

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