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政治の世界で働いていた者は、どんな体制の下でも働き続ける必要性を感じてください。キリスト教的な考えとは遠く離れた体制の下でも、働くようにしてください。ただし、その国の教会当局がカトリック信者に異なる指針を打ち出している場合は別です。カトリック信者でない人たちによって、国の政治が独占されることを認めてはなりません。教会に対して最も攻撃的な体制の下でも、(もしあなたがたが働いていたら)よりひどい悪が起こるのを防ぐことができるでしょう。
どんな体制においても、この〈畑〉を放棄しないことが重要です83。ただし、それによって不当に「体制の協力者」というレッテルを貼られることのないようにしてください。私の子たちよ、多数がカトリックの国において、信仰を実践する責任感のあるカトリック信者が、したがって様々なキリスト信者の会のメンバーが、政府にいないのは理解できないことです。もしそうでないならば、そのカトリック信者たちは、信仰を実践しておらず、責任感も持っておらず、カトリックとも呼べないと言えるでしょう。または教会が迫害されているのかのどちらかです。
政府の仕事に参加する時は、市民が果たすことのできる正義にかなった法を作ることに全力を傾けてください。不正な法を公布することは、権力の乱用であり、国民の自由の侵害です。それだけでなく、それは人々の良心を混乱させます。そのような場合、国民は不正な法を守らないという権利を持っています。
共通善には共同体の全成員が参与すべきであることを忘れず、全市民の自由を尊重しなさい。すべての人に生活水準を高める可能性を与え、一部の人を高めるために他の人が卑しめられることがないようにしなさい。最も恵まれていない人々が、自分たちの未来に明るい展望を持てるようにしなさい。すなわち、彼らが、正当な給与を受給できる安定した仕事を手に入れ、文化的恩恵を等しく受けることができるように。なぜならそれは、正義に叶ったことで、彼らの人生に光をもたらし、内面を変え、神やより高い現実の探求を容易にするからです。私の心の子たちよ、しかしながら、最も悲惨なのは、霊的な貧しさ、教理を知らないこと、キリストの命に与れないことです。このことを忘れないでください。
エスクリバー師は、教会当局がそれを禁じる場合を除いて、各自が自分の職業的召命を続けることを提案する。オプス・デイに関して、フランコ体制に協力したという批判がよく知られている。この批判は1957年フランコの政府に二人のメンバーが入閣し、その後、他の数人が入閣したことによる。しかしながら、スペインのカトリック教会当局は、信者がフランコの政府に協力することを禁じるどころか、むしろ励ましていた。なぜなら、この政府は、政治的自由を認めなかったにしても、社会的生活における福音の現存を保証するように見えたからであった(ゴンザレス・グジョン、カバデル『オプス・デイの歴史』〈González Gullón, Coverdale, Historia del Opus Dei, pp. 221-225〉参照)。(編者注)
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/carta-29/52/ (2025/11/22)