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何年もの間、私は、この世をご自分の火で焼き尽くすイエスの情熱を考えては、神の愛に燃え上がっていました。心を激しく突き動かすあの熱意は、内心に隠しおおせず、主と同じ言葉での叫びとなって表れました。Ignem veni mittere in terram, et quid volo nisi ut accendatur?...Ecce ego quia vocasti me「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらとどんなに願っていることか。…お呼びになったので参りました」25。
私の子たちは皆、全力を尽くし、必要ならば犠牲を惜しまないという、大きな望みを持たなければなりません。それは、やる気を失い感覚を麻痺させてしまった人々の活力を蘇らせ神への奉仕に立ち戻らせるためです。それにはまず私たちが、misereor super turbam「群衆がかわいそうだ」26と叫ばれた主と思いを同じくし、周りにいる大勢の人々への愛情を持つことです。
オプス・デイにおいては誰も、動物の群れのような、非人格化された大勢の人々を見て、心を動かされずに平気で生きることはできません。一見無関心に見える人々のうちに、多くの高貴な情熱、多くの可能性があります。イエスのように、すべての人に仕えることが必要です。そして、singulis manus imponens「一人一人に手を置いて」27彼らを生き返らせ、癒し、彼らの知性を照らし、意志を強めるのです。それは、彼らが役立つものとなるためです!すると、ただの群れだった人々は戦う人々に、高貴な王のために戦う親衛隊に変わることでしょう。
今、オプス・デイは、祝福された野原の香に満たされています28。使徒職の実りを前にして、主が惜しみなく祝福されたことを感じ取るのに信仰は不要です。何年も前、主への感謝のうちに祈りつつ、私の故郷の次の歌を口ずさんでいました。「蕾よ、つぼみ、もうすぐバラになるのだね。花開く時が近づいたよ。何かを告げるために」。私の子たちよ、今あなたがたは、棘があるにしても美しく素晴らしいバラを目前にしています。眠り込まずに、奮い立ち、イエス・キリストと聖なる教会に捧げるために、努力を傾けた結果を摘み取る時です。
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/carta-29/9/ (2025/11/21)