121

人間の​愛

 さて、​私たちに​とってとりわけ大切な​日常生活の​もう​一つの​面、​つまり​人間の​愛、​男女間の​清い愛、​婚約、​結婚に​ついて​少し​考えてみましょう。​人間の​清い愛は、​先に​述べた​偽りの​精神主義が​ほの​めかすように、​本当の​霊的(精神的)活動の​傍らで、​ただ単に​許され​容認されるだけの​ものでは​ありません。​私が​話したり​書いたりして、​そうではないと​説き続けて​四十年が​経ちました。​初めは​理解できなかった​方​々も、​今では​次第に​分かってくださっています。

​ 結婚​生活と​家庭生活に​向かう​愛も​また、​聖なる​道、​召し出し、​素晴らしい​道、​神への​まったき献身の​道に​なるのです。​すでに​思い起こしていただいたように、​すべてを​完璧に​成し遂げ、​日々の​小さな​事柄に​愛を​込め、​些細な​事柄の​中に​隠れている​〈神的な​もの〉を​見つけ出してください。​これら​すべては、​活力ある​人間の​愛の​ある​ところで​実現できるはずなのです。

​ ナバラ大学の​教授と​学生、​職員の​方々なら​ご存じのように、​私は​皆さんの​愛を​麗しい​愛の​御母・聖マリアに​託しました。​皆さんが​捧げる​清く​素晴らしい​愛と​祈りを​受け入れて​祝福してくださる​よう、​キャンパスに​聖母小聖堂を​信心込めて​建立しました。​「あなたが​たの体は、​神から​いただいた​聖霊が​宿ってくださる​神殿であり、​あなたがたはもは​や​自分​自身の​ものではないのです」。​皆さんは​何度も、​麗しい​愛の​聖母像の​前で、​使徒聖パウロの​この​質問に​喜びに​溢れて​答える​ことでしょう。​神の​御母、​知っております、​あなたの​力強い​御助けを​得て、​聖霊の​神殿に​ふさわしく​生きたいと​願っています、と。

​ この​感動を​誘う​事実を​黙想する​度に、​観想的な​祈りが​湧き​上がる​ことでしょう。​聖霊は​物質に​過ぎない​私の​体の​中に​ご自身の​住まいを​定められた。​私は​もう​私の​ものではない。​私の​体も​霊魂も、​私の​全存​在が​神の​ものである。​そして​「自分の​体で​神の​栄光を​現しなさい」と​いう、​聖パウロの​言葉を​実行する​ことに​よって、​この​祈りは​具体的な​行いを​豊かに​生み出す​ことでしょう。

この点を別の言語で