125来世の生命 キリストが弟子たち皆にお任せになった使徒職は、このようなわけで、具体的な結果を社会にもたらします。キリスト信者であるからといって、社会に背を向けて、人間の本性に関して悲観的な考え方などできません。正しいことであればどんなに小さなことでもすべて、神的・人間的意味を秘めています。完全な人であるキリストは人間的なものを破壊するためにではなく、人間の本性を高めるために罪以外の人性をおとりになりました。悪への悲しむべき〈冒険〉を除いて人間の持つ抱負を共に分かち合うために来られたのです。 キリスト信者は常に、完全に社会の中にあって、社会を内部から聖化するつもりでなければなりません。しかし、人間の意志の弱さや罪に負けて神を否定し、愛すべき救いの計画に反する要素である悪い意味での世間に染まってはなりません。 この点を別の言語で 選択するEspañol (原文)CatalàČeskyDeutschEnglishFrançaisGalegoItaliano한국어LatviešuNederlandsPolskiPortuguês BrasileiroPortuguêsРусскийSlovenskySlovenščinaSvenska简体中文繁體中文…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/es-cristo-que-pasa/125/ (2023/11/27)