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キリストを​告げ知らせる

​ 個人的な​ものから​何らかの​意味に​おいて​歴史的大事件と​称される​事件に​至るまで、​人生の​あらゆる​出来事は、​真実を​直視させる​ために​神が​人々を​招く​呼びかけであると​共に、​私たちの​従う​聖霊19を、​恩恵の​助けを​受けて​言葉と​行いに​よって​人々に​告げ知らせる​ために、​キリスト信者に​与えられた​機会であります。

​ 各世代の​キリスト信者は、​自己の​属する​時代を​贖い、​聖化しなければなりません。​その​ためには、​聖霊の​働きかけと​神のみ​心から​常に​溢れでる​豊かな​宝に​対して、​どう​応えるべきかを、​〈言葉の​賜物〉を​もって​知らせる​ことができるように、​隣人や​同僚を​理解し、​その​抱負を​分かち合わなければなりません。​福音の、​古く​かつ新しい​知らせを、​私たちの​生きる​世代や​社会に​告げ知らせる​ことは、​キリスト信者に​課せられた​義務なのです。

​ 人間の​存在や​運命に​ついての​信仰の​教えに​対して、​現代人が​すべて​閉鎖的で​無関心であるとは​思えません。​現代の​人々が​地上の​ことのみに​関心を​持ち、​天を​見上げようとしないと​いうのも​当たっていないと​思います。​閉鎖的な​イデオロギーに​事欠かず、​また​それを​支持する​人々も​ある​ことは​ありますが、​今日でも、​大きな​志とさも​しい​態度、​英雄的な​行為と​卑怯な​行為、​夢と​偽りが​存在します。​今以上に​人間を​尊重する​正しい​世界を​夢みる​人々も​おり、​最初に​抱いた​理想が​挫折し、​幻滅を​感じて​自己の​安寧のみを​求め、​いつまでも​過ちの​中に​低迷している​人々も​いるのです。

​ 男女を​問わず​このような​人々​すべてに、​どこに​いても、​有頂天に​なっている​ときも、​危機感や​挫折感に​襲われている​ときも、​聖霊降臨後、​聖ペトロが​厳かに​告げた、​次の​知らせを​私たちは​伝えなければならないのです。​「この​方こそ、​『あなたが​た家を​建てる​者に​捨てられたが、​隅の​親石と​なった​石』です。​ほかの​だれに​よっても、​救いは​得られません。​わたしたちが​救われる​べき名は、​天下に​この​名の​ほか、​人間には​与えられていないのです」20。

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