137最後に十字架との一致を挙げることができます。キリストのご生涯においてカルワリオがご復活や聖霊降臨に先行したように、同様の過程がキリスト信者の各々の生活の中にも再現されるべきなのです。聖パウロの言葉によれば、神の「子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです」33。聖霊は、ただ神の光栄のみを求める自己放棄という十字架の結果、神への完全な奉献の結果、与えられるのです。 恩恵には忠実に応え、自分の心に十字架を立てて神の愛ゆえに自己を否定し、我儘と人間の誤った確信から本当に離脱しているとき、すなわち真実に信仰を実行するとき、そのときこそ人は、聖霊の偉大な焔や偉大な光、偉大な慰めを全面的に受けることができるのです。 キリストが勝ちとられ、聖霊の恩恵によって与えられる光と平安34が私たちの心にみなぎるのもその時です。霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制35であり、主の霊のおられるところに自由36があるのです。聖書への参照ガラテヤの信徒への手紙 4, 31コリントの信徒への手紙2 3, 17ガラテヤの信徒への手紙 5, 22–23ローマの信徒への手紙 8, 17 この点を別の言語で 選択するEspañol (原文)БългарскиCatalàČeskyDeutschEnglishFrançaisGalegoItaliano한국어LietuviškaiLatviešuNederlandsPolskiPortuguês BrasileiroPortuguêsРусскийSlovenskySlovenščinaSvenska简体中文繁體中文…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/es-cristo-que-pasa/137/ (2024/09/14)