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最後に​十字架との​一致を​挙げる​ことができます。​キリストの​ご生涯に​おいて​カルワリオが​ご復活や​聖霊降臨に​先行したように、​同様の​過程が​キリスト信者の​各々の​生活の​中にも​再現される​べきなのです。​聖パウロの​言葉に​よれば、​神の​「子供で​あれば、​相続人でもあります。​神の​相続人、​しかも​キリストと​共同の​相続人です。​キリストと​共に​苦しむなら、​共に​その​栄光を​も受けるからです」33。​聖霊は、​ただ神の​光栄のみを​求める​自己放棄と​いう​十字架の​結果、​神への​完全な​奉献の​結果、​与えられるのです。

​ 恩恵には​忠実に​応え、​自分の​心に​十字架を​立てて神の​愛ゆえに​自己を​否定し、​我儘と​人間の​誤った​確信から​本当に​離脱している​とき、​すなわち真実に​信仰を​実行する​とき、​その​ときこそ人は、​聖霊の​偉大な​焔や​偉大な​光、​偉大な​慰めを​全面的に​受ける​ことができるのです。

​ キリストが​勝ちとられ、​聖霊の​恩恵に​よって​与えられる​光と​平安34が​私たちの​心に​みなぎるのも​その​時です。​霊の​結ぶ​実は​愛であり、​喜び、​平和、​寛容、​親切、​善意、​誠実、​柔和、​節制35であり、​主の​霊の​おられる​ところに​自由36が​あるのです。

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