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​それゆえ、​イエスの​聖心の​うちに​生き、​イエスに​一致するとは、​私たち自身が​神の​住まいに​変わる​ことだと​言えます。​わたしを​愛する​人は、​わたしの​父に​愛される​38、​と主は​仰せに​なりました。​キリストと​御父は、​聖霊に​おいて、​私たちの​心に​おいでになり、​そこに​お住まいに​なります39。

​ ほんの​わずかでも以上のような​ことを​理解すると、​私たちの​生き方は​変わり、​神に​飢える​心は​詩編の​言葉を​自分​自身の​言葉と​して​繰り返します。​わたしの​魂は​あなたを​渇き求めます。​あなたを​待って、​わたしのからだは​乾ききった​台地のように​衰え、​水の​ない​地のように​渇き果てています40。​すると、​願う​よう​勧められた​イエスは​出迎えに​きてくださり、​「渇いている​人は​だれでも、​わたしの​ところに​来て​飲みなさい」41と​仰せに​なります。​聖心を​差し出し、​憩いと​勇気を​得る​場を​お与えに​なるのです。​その​招きに​応えれば、​主の​言葉に​偽りの​ない​ことが​わかり、​飢えと​渇きは​募りに​募って、​願いの​言葉が​ほとばしり出る​ことでしょう。​神よ、​私の​心に​憩いの​場を​定め、​あなたの熱と​光を​与え続けてください、と。

​ ​「わたしが​来たのは、​地上に​火を​投ずる​ためである。​その​火が​既に​燃えていたらと、​どんなに​願っている​ことか」​42。​神の​愛の​火を​わずかなりとも​垣間見る​ことができました。​神の​霊感に​すべてを​委ねましょう。​人々が​キリストの​平和を​知り、​それと​共に、​幸せに​なることができるように、​地の​果てまで​〈神の​火〉を​もたらす​熱意を​燃え立たせたい​ものです。​キリストの​聖心に​一致して​生きる​信者に​とっては、​社会の​平和と​教会の​平和、​心の​平和、​神の​王国が​訪れた​ときに​完成する​神の​平和以外に​目的と​すべき​ものは​存在しないのです。

​ 平和の​元后である​マリア、​天使の​お告げの​実現を​信じた​あなたに​お願いします。​私たちの​信仰が​増し、​希望するに​堅く、​愛に​深さを​増すことができるよう​お助けください。​これこそまさしく、​御子が​本日至聖なる​心を​人々に​示すに​あたり、​お望みに​なることに​ほかならないからです。

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