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内的な乾燥状態とは、生温さのことではない。生温い人の場合、恩恵の水は浸透せず、流れ去る。ところが見たところ不毛な乾燥地であっても、少しの雨が降ればやがて時が来て花が咲き、美味しい実を結ぶ土地がある。
それなのに、私たちは一体いつになったら納得するのだろう。各瞬間の神の呼びかけに対して素直に応えることが、すこぶる大切なのである。神はそこで私たちを待っておいでになるのだから。
この点を別の言語で
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/forja/224/ (2025/11/17)