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主に見放されたと思えるときも、悲しんではならない。もっと必死になって主を探し求めなさい。愛である神があなたを独りぼっちになさることはないのだ。
万一、あなたを〈独りぼっち〉になさるとすれば、それは愛するがゆえのこと、あなたの生活のうちで神のものと、あなた自身のものとをはっきり区別してお見せになるためである。
この点を別の言語で
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/forja/250/ (2025/11/17)