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 時折、​誰かが​こう​言った。​「神父様、​疲れて心が​冷たくなった​ときや、​信心の​規定を​果た​したり​祈ったりする​とき、​私は​喜劇を​演じているのだと​思ってしまいます」。

​ その​友に、​そして​万一あなたが​同じ​状態に​いるなら​あなたにも、​私は​こう​答える。​「喜劇だって?​ 子よ、​素晴らしい​ことではないか。​喜劇を​演じなさい。​観客は​神である。​〈私たちが​喜劇を​演じている​とき〉、​御父と​御子と​聖霊、​つまりいとも​聖なる​三位一体の​神が​私たちを​眺めて​おいでになるのだから」。

​ 何を​するにも​気持ちに​逆らってしなければならない​とき、​神に​愛を​示すため神を​お喜ばせする​ために、​主の​前で​そのように​振る​舞うのは​実に​麗しい​ことだ。​神の​旅芸人に​なるのだ。​自分では​何ら満足を​得られなくても、​主を​お喜ばせする​ため、​神に​愛を​示すために、​自分の​役を​演じるのは​本当に​素晴らしい。

​ これこそ、​神を​愛する​人の​生き方である。

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