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祈りや黙想のとき潜心するのは易しい。イエスは私たちを待たせたり、控室に通したりはなさらない。ご自分の方で待っていてくださる。
「主よ、祈りがしたいのです。お話ししたいのです」と申し上げるだけで十分。それだけで、あなたは神の前に出て、すでに主と語り合いを始めているのである。
それでも足りないかのように、あなたのためには時間を惜しみなく割いてくださる。十分や十五分どころか、何時間でも丸一日でも。しかも、そうなさるのは、ほかでもない全知全能の御方である。
この点を別の言語で
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/forja/539/ (2025/11/17)